一人集団ストーカー周知活動(+α)
集団ストーカーに関する記事をアップしております。拉致問題同様、日本が最優先に取り組むべき組織的な人権犯罪(組織犯罪)を今後も訴えて参ります。宜しければブックマークなどしてチェックしてみてください。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ヘビは長すぎる~世界一悪質な企業(KDDI)

※【3月1日追記あり:当記事内一番下】

※【2月2日追記あり:当記事内一番下】

入って二日で気づいてはいたのだが。この会社はスパイが多すぎる(ヘビも長いがそれはさておき)!いくらなんでも馬鹿すぎるのである。

職場にペン一本持ち込めない会社は何を守ろう。会社の悪質さであろうか。

外からは絶えず監視し、内部にもかなりの割合で潜り込み、組織化されたネットワークが個人への悪質な妨害や内容のすり替え、分かりやすい印象操作、『クライアント企業対下請け企業』という関係を利用し(というより悪用するための仕組みを作り上げ)内部を掻き回す。

徹底的な差別、パソコンは絶妙なタイミングで動かなくなり、案件は100パーセント人為的、上がってくるタイミングは思わず屁が出るほどオンタイム、おまけに悪意付き。まさに茶番!ルールは日々変わり、訳の分からない精神的負担と不規則に拘束される時間。人物重視とは笑わせる。清々しいほど安い給料に、交通費も出ない。中にいる人間の未熟で幼稚な精神性(全員ではない)。

スパイ(とすら言えないかもしれない)は大幅に増員され、もはやスパイが紛れているというレベルではなく、会社として完全にカルト体質であり私物化された殺人企業といえる。

現在働いている会社である。 誰もが知っているクライアントとしての大企業の下請け企業である。

上で、『クライアント企業対下請け企業』と書いた。つまりは請け負う会社が仮に変わっても名前と人を変えれば良いだけの話であり本質的には一体である。

ドコモに関しては関連会社を中心にスパイが紛れ込んでいるという印象が強かったが、KDDIは組織的に完全に腐っており、悪質そのもの、ごく一般的な教育を受けてきた日本人の性質からはかけ離れているといえよう。

世界一悪質な企業といっても良いであろう。

またこの会社は人材派遣会社でもある(人材派遣会社の悪質さは以前書いた)。或いはまた詐欺防止業務を請け負ってもいる。詐欺を野放しにする会社(というより体質そのものがカルトである会社)が詐欺防止とは笑止千万である。

ブラック企業対策も耳にするところではあるが、労働時間を是正しても根本的には全く変わらない、ブラックどころか人を(生き)殺すための企業が日本には存在している。

であるにも関わらず(個人としてみれば)彼らの多くもやはり被害者であろうと今回改めて思った。 集団主義がもたらす心理誘導や心理圧力とも言えようか、いわば動かされている側面もあり、彼ら自身の保身もあろうが、かつてはそのような人間ではなかったであろうことは容易に想像できる。 独断でそのようなことをしようとは考えもしなかったであろうし、行うこともなかったであろうということである。 また、中で働いている人間は最初からまともな人もいることは付け加えておく。

と、ここまで俺が見てきたことを書いてきたのだが、企業として(とは体質そのものがカルトそのものである企業に望むべくもないであろうが)、また個人としての危機意識の圧倒的な欠如は他国にも例を見ず驚異的とも言えるほどで、かかる現実を前に国が何もなし得なかった(しっかりと分析してこなかった)ことは、この国の腐敗を説明するに十分である。

裏を返せば、現状はこの国の健全な社会を維持する意味での防衛力・組織力を上回る力(組織力)が既に存在しており、今後どんなことでも起こり得ることを意味する。 彼らはどこへでも潜り込んでおり、この国を守らんとする力そのものが正常に機能していない、または弱体化していることも一因にある。

あなたの隣にもそうした人間がいると考えた方が良い。

異常なものを異常であると声を上げる人間は少なくなった。それを打ち消さんとする声を見てみればよい。はっきりいって普通ではない。その代わりといっては何だが普通であることを異常であると声をあげる集団が増えた。

完全にカルト化する企業。人間は急速に奴隷化し、絶えずストレスを与えられ、力も意欲も失う。大袈裟ではなくブラックどころの話ではない。はっきりと殺人である。

戻らぬ人がどれだけいるか想像できるであろうか。

テレビも新聞も急速に駄目になっていく昨今(馬鹿過ぎて見ていられない、読んでいられないというのが本音であり、これは余りに多くの人が共通して感じていることであろう)、こうした声の少なさと防衛の働かなさは他国ではありえないであろう。

このような時代に企業にはっきりとスパイが紛れている、相手も簡単に特定できると指摘できている声に対して、なぜ話を聞こうともせず、危機意識を全くもたず紋切り型に、病気とレッテル貼りをする声が先行しよう。打ち消さんとする声の残忍さはどこからこよう。なぜ無関心でいられよう。 不自然過ぎることに気がつかないであろうか。

与党も野党も関係なく、今一番解決しなければならない問題がある。

何度も言う。 本気で日本を取り戻しませんか


【2017年2月2日追記事】

誰が見ても分かる詐欺的な会社の内情をここまではっきりと書いているのにも関わらず、ブログの存在にすら気付かぬ無能を演じ続けなければならぬ、こともあろうに情報を取り扱う通信会社の愚かさ。

所詮、カルトはカルトでしかあらず、真実を究明しようとは一つも考えず、謝罪をしようなぞという選択肢ははなからない、せいぜいが嘘の上塗り、ターゲットへのレッテル貼りには余念がない。或いは言い掛かりをつけて下請け会社のミスに漬け込むばかり。

いざとなれば切り離す算段である。

いくらでも理由は作られる。彼らが押し付けたルールなのだから当たり前である。

遡っていかに悪質な体制であったかを自ら証明していることにまでは頭が回らぬ。一体であることは既に書いた。

同時期に入った人間、及びその前後に入ってきた人間はほぼ全員工作員である。

かなり前に入った人間には普通の日本人もいるようだが、驚くべくことにその中ですら少なくとも8割以上は工作員である。

ここまで悪質で愚かな会社は他にないであろう。

断言できることは、ここ数年で見られる本来自殺するタイプではない人が自殺する原因の縮図がここにあるということである。システム化された集団主義は明らかに人工的なものである。差別は徹底されている。

加えて、対策に乗り出さんとする組織が仮に作られたとしても、それすらも乗っ取らんとする、そんな集団であると考えて間違いない。

詐欺防止業務と提携している事実を思い出して欲しい。

当記事公開後に共謀罪の創設の是非が盛り上がっているところではあるが、本質的な議論と分析をしなければならない。ごまかし、すり替え、言い掛かりを付けようとする人間はいくらでも出てくるであろう。

ま、俺は余裕で自殺しないけどね


【2017年3月1日追記事】

社内(または社外)の低俗集団は俺の自信をどうしても挫きたいようである。

なぜ俺の自信が微塵も揺るがないか彼らは一度でも考えたことがあるのだろうか。

俺の怒りは彼らが想定するものとはおそらくは次元が違う。論理が違う。

その茶番に、そのレッテル貼りに、その組織だったネットワークに、その差別に、その塗り固められた嘘に、こちらがそうと分っていることに対して何故自信を失おう。

俺の怒りは集団主義に身を委ね、自らの保身と、周りをも巻き込まんとするその厚顔無恥にあり、その情けなさにあるのである。

だから論理が違うのである。見ているものが全く違うのである。

いつまでたっても俺の足元にも及ばないのである。いつまでたっても怯え続けなければならないのである。

彼らが彼ら本来の彼らに戻り、人間らしく生きることができれば、どれだけ可能性が広がるか彼らは考えたことがあるのか。彼らは幸せになれないことに本当に気が付かないのか。

自分のことは勿論のこと、(救い出す義理は本来は全くないのであるが、結果として)彼らの分も戦っていることを、全てを救い出そうとしていることを、彼らはただの一度でも考えたことがあるのだろうか。誰がのような国になることを望もう。

いつから日本はこうなった。

俺が一番危険視しているのはその組織である。



スポンサーサイト
過激思想

更新通知
※【10月2日追記あり:当記事内1番下】
※【10月1日追記あり:前記事内下から二番目の記事の追記】
※【8月24日追記あり:当記事内下から2番目】
※【8月14日追記あり:当記事内下から3番目】

近年のこの国における言論の貧しさはどこからくるのか。

テレビやその他マスメディアもそうだが、ネットは更に酷い。

どこかで聞いたことのあるような言葉を継ぎ接ぎして都合よく解釈する。

部分だけを取り上げて事実を歪曲しているもの、前提そのものが誤っているもの、レッテル貼りやある種のプロパガンダ、こじつけ、暗示、その他印象操作、妨害、煽り、過激思想の植え込み等様々である。

単に質が低く、批判されて当然の現実から目を背けるべく丁重な対応こそが悪であると原因を転嫁し、都合が悪いことは何故か聞こえない、見えない。

結論ありきの論調であるため、まともな反論に対しても確かにそうだなという気付きや反応がない。論理のすり替えや飛躍のもとにある思考回路が全く同じで圧倒的に議論がなく、自己完結している。

多くの企業は堕ちに堕ちた。

上に挙げた単に質が低く、批判されて当然の企業精神そのままに、訳の分からない自己正当化と、周りをも巻き込もうとする厚顔無恥は、他国のどこであれ受け入れられるものではなく(他国における過激さとは異質なものである)、かつての日本では決して見られなかったことである。

そして近年のこうした一段も二段も未熟かつ特徴的な(癖のある)論点のすり替えはテレビの中でも、新聞の中でも、ネットの中でも散見され、組織的な繋がりは分かりやすいほど分かるものである。

ここで見られる異質さはA対Bという同格の相違ではなく、論理的な誤りを指摘するものである。組織的に作られた嘘を指摘するものである。多様性を否定しているわけではなく、むしろその全く逆であることは分かっていただけるであろう。

我々はその土台において『1≠0』や『1=1』や『2=1+1』といった話しが通じなくなることの驚異をもっともっと強く自覚した方が良いのではないか。

到るところで作られる対立や分断、怒りや、不寛容の思想はその背景を、広がり方を紐解いていけば(少なくとも日本におけるそれは)分かるはずであろうに何故かそれも見ないふり。

連日報じられる殺人事件も表面だけを取り上げていては何の解決にもならないであろう。

個が見えず、質が極めて低くなったネット空間上の書き込みは、多くの人達に指摘されておりながら(また誰もが気がついていながら)、そこから広がる他媒体・他業種の質の著しい低下には気がつかないふり。

人為的に作られる評判や人気は、何故かことさらに日本を貶める内容と結びつく。

時代の新しさを引き合いに出しながらも、レベルの低さを新しさにすり替えようとしているだけの話しで、そこに新しいとか古いとかいう価値基準は存在しない。強いてどちらかというなら、かなり古い。

結果重視は仮に捏造であっても、仮に盗みを働いてでも、他社にデータを流してでも、もっといえば人間を貶めてでもという悪意の譲歩が裏に隠されており、長い目で見れば、更なる結果の衰退を招く(当然俺自身が見てきたことしか言っていない)。

彼らのいう国益は自分の利益と同義であり、全体の衰退を意味する。

この国には腐ったみかんが到るところに紛れている。

テレビを付ければ、かつてはおかしくなかったのにいつかおかしくなった人間も容易に指摘できる。

極端な不寛容や寛容は作られたものであり、誰かの意思によりコロコロと変わる。

誰もが気付いていながら異様になっていく社会を目の当たりにしてなお、その声は打ち消され、ことさらに陰謀論を否定する理由なき不自然さ。

その可能性もなきにしもあらずという当然導き出されるであろう声は上位には表示されず、否定する論調そのものが陰謀(という大げさな表現自体、それをないものと思わせやすい意図を持ったレッテルであろうが)があることを裏書するものであろう。

ほとんど何も書いていないのに関わらず不自然に盛り上がる一部の個人ブログ、または中身があるにも関わらず差別的に無関心を装われる個人ブログは何かを気付かせるに十分であろう。

ネットにおける『炎上』などはその多くが作られたものであると何故考えられないか。

今の日本は完全に狂っている。日本人の(特に東京で生活する人間の)多くは少なからず病んでいる。

顔も変わってしまった人が多い。

テレビの中でもある人間は組織的に過度の圧力を加えられ、ストレスを溜め込んでいる人がいることも見てとれる。

彼は殺されたのである。彼女は殺されたのである。

日本人は振り分けられている。当たり前のことを当たり前のこととして身に付けている人と、そうでない人とに。

そして(全てでは勿論ないにせよ)後者が優遇されやすい日本社会において本来は圧倒的に少数派でありながらそのまとまり、情報共有度においては多数派になり得る。

若者代表は決して若者代表ではないケースが多く、女性代表も同様である。

議論なき社会において一万人の作られた声が俺というたった一人にいとも簡単に引っくり返される驚くべき現実から目を背けてはいけないし、その理由を考えなくてはならない。

日本はまだ取り戻せるはずですよ本当は誰もが感じていることなんだから


【2016年8月14日追記事】

熊本地震発生から今日でちょうど4ヶ月。行方が分からなかった最後のお一人の身元の確認が取れたとのことです。

長い間辛かったですね。

遅くなりましたが亡くなられたお一人お一人のご冥福をお祈りします。

被災された方々はまだまだ大変な毎日を生きておられます。一日でも早く皆様が未来への道筋を立てることができるようになりますよう心から願っております。

【2016年8月24日追記事】

その地に立つことを夢見た数多くの選手達の代表として、国を背負い、四年間苦しい練習を重ねてきた。

その厳しさから、または重圧から逃げ出そうと思ったことも一度や二度ではないかもしれない。

でも、その時はあっという間で。

とにかく誇りをかけて戦い抜く。正々堂々と。

そんな中、競技中接触をして倒れた二人の選手がいた。陸上女子5000メートル、アメリカとニュージーランドの選手。異なる国である。

彼女は立ち上がった。倒れた相手を気遣い、励ましあった。足を引きずりながらも最後まで走り抜いた。

そんな二人の気高い勇気と二人を決勝に進めた委員会の粋な計らいに心から拍手を送りたい。

確かに記録を争っているかもしれない。メダルを国に持ち帰りたい。

しかし、根元にはもっと崇高な願いがある。

世界平和という願いである。

そのことを彼女たちは知っていた。

だから我々の心に響く。忘れていた何かを思い出させてくれる。

柔道は良かった。正々堂々と戦った。

レスリングは良かった。最後まで諦めなかった。

体操は良かった。仲間を信じた。

水泳も陸上も卓球もシンクロナイズドスイミングも感動した。

他の競技も良かった。

ありがとう

さて、閉会式にも心打たれた。

日本のこだわりがあった。愛があり、遊び心があり、誇りがあった。

日本は今までそうやってきた。技術は勿論のこと、本来はそうしたものを感受し、生み出す才能に溢れている(それが今急速に失われつつあることも、また事実であろう。技術だけではないのである)。

いろいろなことに当てはめることができる。

根元に何を置くかで、これからの日本は良くも悪くもなるのではないか。

【2016年10月2日追記事】

拉致被害者のめぐみさんが52歳になるのを前に集いが開かれ、ご両親も参加されて帰国を訴えられたとのこと。

ただ帰ってきて欲しい、それだけの思いで過ごされてきた39年間はどんなであったろうか。どれだけ夢に見られたことであろうか。どれだけ涙を流されたことであろうか。

どこの国であろうと、我が子を想う気持ちに違いはないのではないか。

拉致被害者のご家族にとって、きっと今日と明日は違う。一日分の重みがある。今日という哀しい日を乗り越えて、明日に望みを繋がれているのだと思う。それもやっとの思いであろう。そうやって39年間待ちわびてこられたのかもしれない。心から一日も早く再会されることを願っております。


賢くなくなる日本人
更新通知
※【10月1日追記あり:当記事内下から二番目の記事の追記】
※【7月27日追記あり:当記事内1番下】
※【7月7日:コメントを頂き返信をしました。】 
※【6月23日:コメントを頂き返信をしました。】
※【6月13日追記あり:当記事内下から二番目
※【5月27日追記あり:当記事内下から三番目】
※【5月24日追記あり:当記事内下から四番目】

以前、記事でこんなことを書いた。 『社会的弱者を引き上げる立場をとりながら、悪用され、逆転現象がおき、この国全体が弱くなっているのが見えてこないか。 力を失う日本人、賢くなくなる日本人。結果誰にとって都合のよい社会が作られるか。その先に何があるか。現在利益を受けている人間にも想像してもらいたい。』(【参考】『声なき声(2015年3月6日更新記事)』)。 
ここで俺が当記事で用いる「賢い・賢くない」という言葉は俺のブログを読んでいただいている方には分かるであろうが、広い意味で一般的に用いられるそれと同義であり、多くの方が(無意識であるにせよ)感覚的に共有している頭の聡明さと、心の聡明さの両方を指している。例え、勉強が苦手であっても賢い人は沢山いるし、逆もまたしかりである。
そして上記内容に関するポイントは人為的な力により逆転が作られていることにあり、賢くない(おかしな)人間が差別的に優遇されていることにある。結果として予想される将来の大きなリスクを訴えているものでもある。更に言えば、狂った人間が中枢にいる社会で本来有能であるはずの人間が最大限生かされようがない(それどころかはじき出される)ことにも危惧の念を抱いている。 
当然社会的にハンディキャップを背負った方や、苦しい生活を余儀なくされている方に救いの手を差し伸べることに異議を唱えているわけでは全くない。実際に真に差別を受けている方々の心の叫びを聞けば、一緒に哀しみもしよう。
被害者意識や被差別意識が食い物にされていること、対立を作り出す口実として、社会を塗り替えるために利用されていることこそ問題なのである(ガスライティング犯罪の多くは様々な手を使い自ら被害者・被差別者になろうとする行為に他ならない)。 
実感としても社会の質は大幅に下がり、会社の中でも明らかに賢くない人間が増えている(または優遇されている)ことに対する警笛を鳴らしているものである270388.gif
記事に対する反論はなく、概ね同じように感じられている方が多いように思われるが、直接書いて貰えればこちらも丁寧に答える用意はしているのであるが、間接的にネットやテレビから聞こえてくる反対意見の声をここで取り上げ、俺の考えを書いていこうと思う。ここでは相手を論破することに主眼をおいているわけではないことも付け加えておく。また、俺の記事に対する反論は直接こちらに書いてもらって全く構わない(俺に対しては試しに論破しようとしてみても問題ない)。 一部反対意見はこういうものである。 
『いつの時代でも、どの年代にも賢くない人間はいる。』 こうした主張の多くは個別に見た場合、年齢や時代関係なく賢くない人間はいるのであり、目立っているだけだというものである。更には一部自分にまで当てはめられていると考えている(それ自体賢くはないのであるが)節すらあることに対する不快感をも表明している。加えて賢くなくなる日本人という表現そのものを反日表現に結び付けようとする無茶なものも一部見受けられる。 
まず、年齢や時代に関係なく賢くない人間がいるのは当然のことである。おかしな人間が目立ちやすいことにも特に反論はない。 そうした側面があることを理解した上で、なお、訴えているものであり、多くの日本人が実感として感じていることを言っているに過ぎない。つまり、かみ合っていないのである。 目立っているだけなのであれば、例えば企業の質が明らかに低下していることの説明が付かない。店に入ればおかしな店員が多く、テレビを付ければ質の低いニュース番組、意味の分からないバラエティ番組におけるキャスティング、ゴリ押し、訳が分からない煽り、ただただ不快な内容であることに対する説明が付かない(ここでは全ての番組がそうだと言っている訳ではない)。ネット上の書き込み一つ見ても、ちょっと普通でないものがもはや一般化されているとすら言える。こうした社会でまっとうな人間が生きるのは難しい。 そして、かかる逆転は共同体意識の中、(同調や服従の心理的圧力、その他様々な誘導・妨害操作を駆使し)人為的に創られていること、またはおかしな人間が優遇されていることに危機感を抱いているのである。良いものを叩き、良くないものを持ち上げるあべこべの操作をしてきたことによりもたらされた結果でもある。目先のこと、個別なことしか見ていないと見落とされがちなことである。 
いくつかのエンターテインメント系のニュースに到っては、ある芸能人の発言を毎度取り上げる。氏を必要以上に持ち上げようとしない方がよい。どんどん駄目になっていく。
明らかにネットの書き込みと連動して、人間狩り、番組狩りのようなものまで行われている(批判される対象、優遇される対象を見ると一貫しており、ベクトルも明確である。明らかに私物化されている)。 
感覚としては、よく気が付く、誠実に見える、という特性を有しているだけで、例えば今の社会においてはサービス業における企業適正偏差値60ぐらいは満たしていると言えるのではないか(分かりやすくするために便宜的に偏差値という言葉を用いたが学力偏差値とは関係ない)。それぐらい全体のレベルが下がっている。 更に言えば、上の『いつの時代でも~』という主張は本来はかみ合っていないにも関わらず、(意図したものではあろうが)議論が深められないために独立して目に付きやすくなっていることである。さもそちらが主流であるという錯覚にも陥りやすい。 
何か流行に便乗した、または思索的なふりをして論点をすりかえる人間も増えた。 
身体的ハンディキャップを背負った人間のゴーストライター騒動を取り上げ、『そもそも誰が作ったかが重要でなく、何を作ったかが重要なのではないか』と問いを投げかける。そもそもハンディキャップを売り物として売り出しているという視点が欠けている。
『なにが正しいかは分からない』という。難しい問題を孕んではいるが、ある種の人間がそれを持ち出したとき、取り上げている問題に関しては、ぶっちゃけ、なにが正しいか、分かる・・・。 
『常識を疑え』という。それ自体は大いに賛成だが、近頃それを言う人間の多くはただシンプルに常識がない。センスもない。 
毒舌を売り物にする人間が増えた(実際芸になっている人、愛がある人もいるにはいる)。 
例えば彼らの毒が、怒りが、まさに自身の内部から爆発する、相手を選ばず、権力にも立ち向かったとき、そうした人間は今までも愛されてきたし、自身の(例えば会社勤めの)辛い日々と重ね合わせ、その鬱憤を晴らす身代わりとして時代を選ばず求められてきたのである。 しかし、その毒が視聴者に向けられているのだからタチが悪い。相手もメッチャ選んでいる・・・。彼らの多くの特徴は毒ではなく、立ち回りの良さである。気質的なあざとさである。どこに需要があるのか。いやそこに需要があるかのごとく見せている点にこそ問題がある。視聴者や客との乖離が生まれる。誰かにとって都合よく利用されているのである。 
グローバリゼーションや時代の新しさを引き合いに出して奇抜(過激)な発言をする(ここは政治に関していっているわけでは全くない)。見たことも触れたこともない(言ったもん勝ちのような)存在しない世界や時代に拠り所を求めないほうが良い。それは世界(時代)のどこにも受け入れられないであろう。何より切れがない。良ければ良いとちゃんと認める。そして、日本は世界からも注目されるべき安心で優しい文化を育んできたことを忘れてはいけない(勿論他国から見習うべきものも沢山あるであろうが)。 
芸能人がツイッター上で、一般人と言い争いをしているなどという話を聞くと、正直悲しくなる。 
ようはスケールが小さすぎるのである。そうした人間を指して彼は才能がある、彼女は賢いなぞと語る人間を見るにつけても、情けなくなる。 
テレビの中で悪意に満ちた素をさらけ出す芸能人が増えた。やめた方が良い(全員ではないし、言われなくても分かっているプロフェッショナルな人間もいるが)。いくらなんでも中途半端である。といって極端にも走らないほうが良い。もって生まれた天才的な資質がない限り、どのみち中途半端である。
以前、テレビにおける作られた視聴率10%と、そうではない10%の違いを述べた(【参考記事】『印象操作について(2014年12月10日更新記事)』)。前者はいつでも0%に限りなく近くなる可能性を秘めた10%である。
潜在的な視聴者の母数を減らすことであり、有能な人間を殺すことであり、世の中を悪くすることであり、奴隷になることでもある。
作られた声や数字に引っ張られてはいけない。国の情報機関はもとより、当ブログをリアルタイムで読んでいただいている多くの方々、またネット工作員ですらことの重大さに、またこの国で何が行われているかに気付き始めているはずである。 
視聴率は意味がなくなった。経済学が当てにならなくなった。評判は人為的に作られ、行列は中身と比例しなくなり、賞はスカスカ、(特に「○○学者」や「元○○」なぞという)肩書きなんて何の参考にもならない。企業は腐敗し、マスメディアは堕落し、警察は不祥事ばかり。政治とは何であろうかと日々考えさせられずにはいられないレアな日本の政治。出た瞬間に既に何もない一発屋芸人。
うんざりする。
言葉と表情(感情)の動きが一致しない人も増えた。
さて
上に挙げたことは全て繋がっているのである。こうした時代において、ビッグデータや人工知能、顔認証システムの活用、SNS、掲示板、さらには裁判員制度など含め、その危険性は今よりずっと重く認識したほうが良いと考える。 
なぜ、このような社会が作られつつあるか、その先に何があるか想像してみればよい

【2016年5月24日追記事】 
現役のアイドルがファンに刺傷されるという事件に衝撃を受けました。この度の容疑者のものに限らず、ネット上の悪意ある(または過激な)発言は、普段twitterを全く利用していない俺ですら良く目にするところではある。仮にサイト内に訪問しないまでも検索ワードにヒットするタイトル(及び付随する文章)が時として嫌でも目に留まるからである。ニュースで分析されているファン心理、思い込み、距離感の喪失は、言われなくともそうした心理を利用した営業を兼ねている芸能活動を思えば理解できるところであろうし、(今回ほどではないにせよ)その危険性は常に付きまとっているといっても過言ではないのではないか(この点に関しては芸能活動をされている方を批判しているわけではない。時として本人の意に反してtwitterやSNSを利用していることもあるであろう。また「身近な存在としてのアイドルや芸能人」という戦略はそれ自体は良いアイデアだと個人的には思っているし、それを好きな人たちに夢や希望を与える本来は健全なものだとも思う。問題は利用の仕方やリスクに対する対処の仕方であろう。またはリスクと利益とを天秤にかける正常な判断力であろう。活動をする芸能人の精神的・肉体的な負担も考慮する必要があろうと思う)。twitterに関しては他にもいくつも危険性を孕んでいると俺は考えている。
今のサイバー空間を見たときに、例えばアメリカにおいては有意義に活用されても、(少なくても現在のルールでは)狭い日本には適していないということもあるのかもしれない。例えば有名人を町で見かけたらリアルタイムで、かつ不特定多数の人間に向けて、twitterで拡散するなぞという感覚の持ち主は、かつての日本人にはほとんどいなかったであろう。それで傷つく生身の人間がその場にいるという想像力がまずは欠けている。想像力の欠如した行動をとるためのきっかけを自ら作っているという見方もできる。短い文章で思うがままにつぶやくというシステム自体、個人ブログなどよりも責任の意識は更に薄くなっていく。悪意のネットワークが活動をしやすいシステムでもあり、情報操作を行うためのツールと化している側面もある。悪に有利な空間といっても良い。
その後容疑者のものとされるtwitterの全文を目にする機会があり一読してみたのであるが、若干の違和感と独り善がりで未熟な精神性、視野の狭さが目立っているという印象であった。また後半になるに従い、容疑者の中で怒りが制御できなくなり、行動に駆り立てられたと読み取ることもできないわけではない。それ自体極めて自分勝手なことであろうが、少なくともその(twitter上の)心理状態は格別めずらしいものであるかと問われればそうとも感じられず、熱烈な、また心に闇を抱えたファンの一部に見られがちな一つの傾向であるとも言えそうである(今回のような残虐な行為にまで到るかどうかということとはまた別の話である。徹底的に調べる必要があるであろう)。
長くはない人生である。そのはかない命は一度失えば二度と戻ってはこない。被害者が生きて帰られることを心から願っております。
※容疑者のtwitter全文を読む機会があり、上記追記事で俺が勘違いしている箇所がありましたので削除・訂正いたしました。

【2016年5月27日追記事】
この度のオバマ大統領の決断と勇気に敬意を表します。かくいう俺も広島とは少なからず関わりがあります。因みに生まれたときからカープファンです
アメリカ世論のさまざまな意見を率直に理解できるし、尊重しています。広島に来てくれて、また力強いスピーチをしてくれてありがとう俺も決して希望をすてません。世界中の子供たちの未来を信じます

【2016年6月13日追記事】
ご想像して頂ける方もおられるかと思いますが、俺は現在(10年以上前から)監視や盗聴、また多くのカルト組織の影響下にある企業や工作員による就業妨害、及び直接物を売るなどして生計を立てようとする場合であっても様々な妨害、その他人間の尊厳を無視した人権蹂躙犯罪の被害を受け続けております(有限の人生において、そのようなことをする資格なぞ、本来はただの一日であれないことは、きっと彼らの多くがいずれかけがえのない時間を振り返ったときに、命の尊さを思い知ったときに気が付くことでしょう)。
かかるカルト組織を野放しにしている日本という国、及び俺以外にも(いや俺以上にも)様々に苦しんでおられる方々を鑑みるに、この訴えをやめるわけにはいかないという気持ちを日々強くしております。
しかし、現実問題として上に挙げた理由により、生活をしていくのが非常に困難な状況です。
日本は急速におかしくなっております。時代を逆行した負のネットワークがこの国をとことん貶めております。
ここで、この国の未来を憂いている方、本気で考えられている方、また勇気ある皆様方からの金銭的な援助を募らせていただきます。
援助をしていただきます皆様方の意向(が仮にあったとしても)をこちらのブログ内容に反映させることはできませんことは予め断らせていただきます。
ただ、少なくとも俺自身がこの目で見てきた真実を今後も訴えていくことはお約束させていただきます。
俺は、こちらのブログにおいては約3年前から現在に至るまで、またあと一つの笑いブログ(『くだらない話』)においては、約7年前から約5年9ヶ月もの間、いかなる金銭的利益をも目的としないという条件を自らに課し、またそれ自体大いに意図あるものとして続けて参りました。その意図は俺が良く知る聡明な人たちであれば何を言わんとしているか大抵分っていただけるかと思います。稼ぐことを批判しているわけでは全くありません。
この度援助を募るという行為自体がブログを続けていく目的であるわけでは決してなく、訴えを続けていく為の援助でありますことは俺のブログを読んでご判断頂けましたら幸いです。道筋が立ち次第こちらの募集は取りやめさせて頂きます。
皆様方にとっても直接的な利益があるわけではないこともご理解ください。
俺は自らの個人情報の詳細を明かしません。ガスライティング犯罪の性質上、それ自体理由あることでありますことをご理解ください(自分自身のためではありません)。
ただ、俺という人間が、何らかの思想・宗教・政治団体にも属していない、属したこともない、今後もそのつもりは一切ない、権力なぞ思わず鏡の前でほくそ笑むほど持ち合わせていない、当然監視されるただ一つの理由すらない、ごく普通の日本人(一般人)であるということ、寧ろ彼らは様々な手を使いどんな小さなことであれ問題を起こさせガスライティング犯罪を行うための動機を作り出そうとする、本末転倒、悪質極まりない犯罪組織の被害者であるということだけは言えます。あと、俺はこう見えて(見えてないでしょうが)結構優しい人間です
下記コメントより「管理者にだけ表示を許可する」にチェックを入れられた上で、投稿者様のメールアドレスを書き添えてご連絡頂けましたら幸いです。追ってこちらから返信させて頂きます。 
※現在、細々ながら定期的に収入を得ることができるようになりましたのでこちらの援助は一旦打ち切らせていただきます。ありがとうございました。(2016年10月1日追記)

【2016年7月27日追記事】
あの、分りますよねこの度の障害者施設での殺傷事件。答えは全て記事に書いております。
バカすぎるテレビや新聞。いろいろなことが繰り返されますよ。
この国の土台はもはやガタガタです。全てが駄目になっていきます。
ま、どうでもいっか本当に
きっと心優しく、賢かった19人の人たちよ。
さようなら。


日本の闇
更新通知
※【3月27日追記あり:当記事内1番下】
※【2016年3月17日新しいブログを始めました】『声』(FC2ブログ)
※【3月3日前記事本文中一部追記・修正あり】
※【2月2日追記あり:当記事内下から2番目】
※【1月31日:コメントを頂き返信をしました。】
※【1月28日追記あり:当記事内下から3番目】【1月28日:コメントを頂き返信をしました。】
※【12月26追記あり:当記事内下から4番目】
※【12月18追記あり:当記事内下から5番目】

『どちらが正しいか分からない』『アメリカが作り上げた敵』という、さも自分たちは部外者であるかのごとく持ち上げる日本国内の一部論調は以前からあったし、空爆による一般市民への被害を訴える声も聞いていた。
IS(=イスラム国)の話である。

そのストーリーは全否定はしないが釈然としないものがあった。
今何を語るべきか、ということがまずある。

一部マスコミによる政治の道具として利用されているのは明らかである。
その内容はそのままISに力を与えるものである。
そしてアメリカも悪いとする空気、フランスも悪いとする空気は、日本におけるカルト組織を正当化する(また批判しにくくする)方便として利用されていることも決して見逃せない(当然正当化など出来ようもないが。またここでいうカルト組織と例えばイスラム教とは一切関係がないことも付記しておく)。
はっきりしておこう。フランスは素晴らしい国である。アメリカは素晴らしい国である。

ISは現在も育て上げられている。

プロパガンダとしての声明や映像だけではない。
ガスライティング犯罪(集団ストーカー)被害者、また加害者として。
それは必ずしもISへの参加を希望しているということを意味しない。
無差別犯罪を起こす者であり、自らの死を選ぶ者であり、精神病院に入れられる者である。
今の日本ははっきり狂っていると断言できる。今の仕組みの中で本当の意味で日本が良くなることは決してない。負の連鎖を作り出そうとする人間はすぐ近くにいる。
そしてそれを作り出す(日本国内における)存在は少なくとも直接的にはアメリカやフランスではない(と確信している)。
むしろアメリカやフランスを間接的に批判する口実として行う別の存在である。反日でもあるカルト組織である。
日本をここまで貶めた存在であり、日本を売り渡した存在であり、日本を乗っ取ろうとする存在である。
あるものをないかのごとく、ないものをあるかのごとく見せようとする存在である。
批判の矛先をすり替える存在であり、善意を仇で返そうとする存在であり、どこにでも潜り込み、擦り寄り、既に組織として筋を通せなくなっている(腐敗しきっている)存在である。
自ら口実を作りだし、人体実験を行おうとする存在であり、人間としての尊厳を踏みにじる存在である。
多くの日本人の誇りを奪い、最も大事なことから目を背けさせ、正義を語ることを憚らせる、そんなあざとくも卑劣なカルト組織である(【参考記事】『更なる認知を~集団ストーカー(2013年8月6日更新記事)』『狂ったカルト集団に都合の良い社会(2013年8月23日更新記事)』『日本を売り渡すカルト集団(2013年10月19日更新記事)』『自殺に関して(2014年7月14日更新記事)』『「バカ」について(2014年9月30日更新記事)』『印象操作について(2014年12月10日更新記事)』『声なき声(2015年3月6日更新記事)』)。

なぜマスコミはガスライティング犯罪を取り上げないのか。
そこに矛盾がある。
俺はマスコミやネット、日常の中にIS(またはISを作り出そうとする人間)を見出だせるし、「自己責任論」「平和ボケ」という不明確な立場で広がる言葉の真意も透けて見えるものである。
前追記事(一番下の追記事)で結果論は危険な時代だといった意味がわかってもらえるだろうか。彼らはいくつもの答えを用意してある。
どちらに転んでもそれを悪用しようとするのであれば、どちらに転んでもそれを許さなければよいまでのことである。
日本のマスメディアは死にかけている(【参考記事】『冗談のような(2014年3月05日更新記事)』)。本当に説得力がなくなった。
テレビはどの局も駄目になったが(『テレビ東京』に関してはちょっとよく分からないが)、NHKなどはそろそろ公共放送としての役目を自主的に終えても良いのではないか。

集団ストーカー加害者はそろそろ負けを認めなければならない。
これを彼等が一方的に押し付けてきたゲームと捉えるのならば(彼等にとってはゲームのようなものであろう)本来であればとっくに詰んでいるはずのものである。
罪を償い、被害者をあらゆる面で救い出さなければならない。

『テロリストの卑劣で残忍な行為はいかなる意味でも正当化されない。』

『言論・表現の自由は護られねばならない。』

『IS戦闘員を生み出してはならない。』

今語るべきことである。

自爆をする人間の覚悟、その余りにも哀しい眼は真実に違いないのだから。

※【12月18日追記事】
最近の著しい偏向報道に関して仮に偏向があるのは当たり前であると開き直られているのだとしたら馬鹿げたことであるし、一度原則に立ち返られた方が良いのではないか。報道は公平・公正であるべきとする原則はときに見落とされがちではあるが、その実大きな意味を持っているものである。そのことを忘れると後に大きな歪みとなり修正し難くなることもある。権力をチェックする役割も果たせない(それ以前に今、本当の意味で戦えているメディアがどれだけあるのだろうかという思いもある)。議論は成立しなくなり、報道そのものが社会に良くない結果をもたらすことも多々ある。人間を殺すこともある。
答えを先に作ってはいけない。
あたかも見ている人を誘導することを目的にしているかのごとく最近の極端な番組構成は、局としての、またはスポンサーとしての意向であったとしたら、多くの視聴者は無理矢理切り捨てられていることになる(ターゲットや視聴率とは別の話である)。
ガスライティング犯罪等、日本を貶めている根元的な問題には触れない、追求しないという逆の意味での偏りも生じている(これを偏りで済ますことができればの話だが)。
(アメリカ等他国に対する)過去の怨みを機軸にした報道にも同じ日本人として様々な面で賛成できない。
ネットを利用している人も、テレビを見ている人も、新聞を読んでいる人も、本や雑誌を読んでいる人も、発信をしている側の人も、会社の中にいる人も、学生も、広い視野で捉えて、様々に悪用されるインテリジェンスの渦に呑み込まれてはいけない
リスクの核心がその時々で、しかし人為的に作り出されていることにも気付かなければならない。
多くのことは根底で繋がっている。
報道に携わる人は護られるべき表現・言論の自由に胡座をかくのではなく、それとは別の次元で一度足元を見つめられることも必要ではないか。
メディアが訴える自由な報道がどれだけ虚しく響いているか客観視できているだろうか。
と、どの番組というわけではなく局に関わらず思うところが多いのではあるのだが、本日(12月18日)たまたま目にした報道番組でも感じたので書いておきます

※【12月26日追記事】
古舘氏は俺などが言うまでもなく素晴らしい才能と愛情に溢れた人間です。弱い立場の人達の心に寄り添い、一緒に悲しみ、一緒に怒り、言葉を信じ、傷付き、恐らくは人知れず涙し、それでも信念を貫こうと戦ってきたのだと信じる。
今回の降板、その後の氏の発言(こちらに関しては敢えて何も言わない)が直前に書いた俺の上記追記事とあまりにリンクしているため、それだけは言っておきます。
しかし、どうしても言わずにはいられなかった。
そしてそれは少なくとも俺自身の直接的な利益のためではない。
俺が批判している対象も氏自身に対してではなく別のところにある。俺は本来は(どちらかと問われれば)左寄りの人間である。
しかし、従来の左の考え方は今日本で通用しない。求心力も失っている。
一つには左寄りの主張は仮にこうであったとしたらという今の時代の想定に対応しきれていない点。むしろその主張の伸縮性のなさがもろに悪用されている点があげられる。
次に左寄りの人間に反日的・売国的、また暴論を振りかざす人間が多数紛れている点がある(それは右も同じだが。彼等は本質的には左寄でも右寄でもない)。
大多数の普通の人は右にも左にも振れやすい。
その点において少なくとも感情的には(どちらに振れるにせよ、またそれが正しい正しくない関係なく)公平であるともいえる。
であるにも関わらずネット上の発言の多くは、それが政治を扱う問題であろうとなかろうと、本来の公平な立場から見た視点ではなく、何らかの思惑に基づいた(その思惑もスケスケではあるのだが)、個としての顔が見えない書き込みが非常に多いことにも触れないわけにはいかない。
正直、今は右寄りの人間の方が説得力がある(肯定できない点も沢山あるが)。
そして主張として必ずしも誤ってはいない従来からの左寄りの人間(元々俺にとって信用できる人が数人いる)が、売国的な人間に悪用されていることにも気付かなければならない。
であるならば右であるとか左であるとかということとは関係ない新しい視点を今持たなければならないと考える。それは一歩も二歩も深めた視点である。
まずはタブーを作らないことが必要となってくるであろう。
上の記事で渦に飲み込まれてはいけないと言った。現状はどの政党が政権を担っても日本が良くなるとは思われない。日本は壊されている。
右も悪用され、左も悪用されている。
全体を見なければならない。根元も見なければならない。
念のため言っておくがこれはどこかの国を批判しているわけではない。
何かを決断することに大きなエネルギーを要する今の時代、幅広いネットワークを駆使し、どこにでも紛れているカルト(スパイ)の存在を真剣に考えてみても良いのではないか。
本当に日本が手遅れになりますよ

※【2016年1月28日追記事】
大手書店チェーン店のジュンク堂で防犯カメラによる顔認証システムを導入したという。二ヶ月程前のニュースで知ったことである。データベースにあらかじめ登録しておいた顔データとの類似値を計算して、似ているものに対して保安官にメール送信するシステムである。
以前一部のコンビニやスーパーで似たシステムを導入された際にもページ下部の更新記事でその危険性に触れたので(【参考記事】『冗談のような(2014年3月05日更新記事)』)今回は取り上げないつもりでいたが、悪用されるために作られたシステムであるという思いは全く変わらない。防犯カメラ自体を否定しているわけではない(肯定もしないが)。疑わしい行動をした人などの顔データを蓄積しているという。その曖昧さ、恣意的にレッテルを貼られる危険性もある。
コンビニ導入時と変わった点は来店客に同システムを利用している旨の通知を貼紙で伝えている点であるか。それは当然であろうと思う(一部コンビニで導入された際はそれすらもなかったという)。
と思いきや、池袋店以外の店舗に足を運び店員に確認をしてみると、導入はしたが通知はしていないという。なるほど、どこにも貼紙は貼られていない。尋ねた途端に他の店員が全員その場を外したことも気になる。
ならば書いておこうと思い、今回追記事で取り上げることにした。
店員の質の低さも相まり、不信感ばかりが募る。
防犯カメラの映像がパスワードをかけていないために世界中で共有されている等というニュースを目にしたのも記憶に新しいところである(ここでも防犯カメラ自体を否定しているわけではないが、悪用されるための隙がある。穿った見方をすれば意図してパスワードをかけ忘れることもできるのである)。
高いリスクを払ってまで万引きをしようとは思わせないようにするには他にまだまだ出来ることがあるはずである(しかし、まあ何というか、俺は性格的にも万引きはできないし、万引きをされる方を弁護する目的で書くわけではないのではあるが、様々な事情を抱え、ハンディキャップを抱え、いわれのない差別を受け、明日を生きていくことすらままならない人も中にはいるのだろうなということに頭がいくのは俺だけではないであろう。だからなんだと言われれば特に何も言うことはないのであるが)。個人的にどこよりも大好きな本屋ではあるが、結局そのような感性の本屋には行く気になれない。少なくとも俺は同店はなるべく利用したくない。
それで良いのかもしれない。が、いずれ他の多くの本屋、他業種でも同システムを導入されたとしたらどうなるか。考えるだけでゾッとする。必要に迫られその中でどこかを利用せざるを得なくなるかもしれない。
窮屈な世の中である。

※【2016年2月2日追記事】
1月31日にメッセージを頂き返信をした件で、その後、ASKA氏がブログにアップしたとされる記事全文がサイト上に残っておりましたので、読んでみました。
何故俺がここで改めて取り上げる気持ちになったかというと、全文を読むことにより若干考えが変わったからであり、訂正をする必要があると考えたからです。
こちらの記事は章立てで構成された何と20章にも及ぶ非常に長い文章で、ほぼ時系列で自身の現在に至るまでの行動や心情を、また各章の終りには自作の詩を綴られたもので、掲載直後に削除されたようです。
あくまで俺が読んだ印象ではありますが、これがご本人が書かれたものであることを前提にするとすれば、やはり少なくとも大部分はASKA氏にとっての真実を語られているのであろうということです。
大部分といったのは最後の方になり幾分不自然に思われる箇所がいくつか見られたからであるのですが、それはそれとして氏が率直に綴られた、いや率直でない部分が仮にあったにせよ、綴らずにはいられなかった心の叫びであり、少なくとも俺は重く受けとめました。
であるならば殊更に考えが変わったなどと言う必要もないと思われるかもしれませんが、氏にとっての真実であったとしても、それが現実に起こっていることの真実であるとは限らないからです。
氏が触れられている盗聴盗撮、または集団ストーカーに関する言及、ネット上のやり取り、過去の友人との関わり方は恐らく真実であろうし、氏が心の病(特に統合失調症)を患っているわけではないことも文章から読み取れます。
しかし、全体を通して見ると、この文章は、氏が意図するものとは別の理由により、何らかの形で広められることを見越したASKA氏以外の存在が透けて見えなくもありません。
仮に氏が受けていた被害が集団ストーカー被害の一部であったとしても、それが全てではありません。
集団ストーカーの加害者がその一部(という言い方が正しいのか別物と見た方が良いのかは分かりませんが)を明るみにすることで、トカゲの尻尾切りをしようとする(または別の存在に押し付けようとする)役割に氏が意図せずとも担わされている可能性もあることを、ASKA氏が社会復帰されることを願うファンの一人としてその気持ちは変わらないにせよ、また今後氏への集団ストーカー行為がなくなることを心から願いつつ書き加えておきます。
※署名活動には参加することができました。

※【2016年3月27日追記事】(※当追記事は3月22日に公開しましたが場所中ということもあり、一旦削除しておりました)
3月22日、大相撲で優勝を目指す大関が立ち合い変化をしました(数年前からほとんど大相撲には興味がなくなったのだが)。今まで真正面から勝負を挑んできた力士がこの度勝負に徹したその姿をみて理想と現実の違いを語る。今まで正直すぎた愚を語るコメンテーターや新聞記事。
トリック技を常日頃武器としている力士であればそれは一つの個性でもあり、場合によっては不足する体の大きさや力を補う持ち味とさえいえるものでもあろう。しかし優勝を目指そうという力のある、また体の大きな大関である。
この度変化をした力士を責める目的で書いているのではない。一番悪いのは当の力士ではない。おそらく親方でもない。一番悪いのはおそらくコメンテーターや記者でもない。
そうしたことを言いたい(言わせたい)人間がどこかにおり、社会に蔓延しているカルト集団を代弁する道具として彼らが利用されているということである。大相撲に限った話ではなく、テレビ番組やその他様々なところでそれは目にするところではある(はっきり言ってすぐに分かる)。メディアが、スポーツが、バラエティが私物化される哀しさよ。
相撲が立ち合いのタイミングをずらしたり、変化をすることにより今後大事な勝敗が全て左右されるようになるのであれば、スポーツの中身そのものが変わってきてしまう。異なる競技といってよいであろう。
まずはそれを見ている客がいる。支えてきた人達がいる。歴史の中で培われてきた日本人の精神がある(ここでは力士の国籍は関係ない)。
理想と現実という。
この国では今日を生きることさえ精一杯の人達が沢山いる。余りにも大きな不幸に打ちひしがれ、立ち上がれない人達も沢山いるであろう。生きがいを見出せない人はもっと沢山いるであろう。(【参考記事】『2014年⇒2015年(アメブロ2014年12月31日更新記事)』)。
彼らの多くは私たちが良く知っている善意の日本人である。その多くは高い節度と良識、知性を兼ね備えた一人ひとりの日本人である。彼らが理想と現実をもしも語ったとしたらそれは説得力がある。
いたるところで日本人の気勢をそぐ力が働いている。
生死がかかっている訳でもなし、変わってしまったスポーツを見て、苦しんでいる人達がどれだけ元気づけられるだろうかとふと思う。
スポーツのことだけを言っているわけではないことを繰り返しておく。
多分その日本人力士は長年腐らずに挑み続けてきた立派な大関であろう、とだけは言っておきます。
ネトウヨ~右とか左とか関係のない話
更新通知
※【2016年3月3日本文中追記・修正あり】
※【11月17追記あり:一番下】
※【10月16日追記あり:下から二番目】
※【10月07日追記あり:下から三番目】
※【8月16日追記あり:下から四番目】
※【8月8日 当記事に寄せられたコメントに返信をしました】
※【7月21日本文中追記あり】
※【7月3日追記あり:下から五番目】

皆さんは「ネトウヨ」という言葉をご存知だろうか。
俺自身は言われたこともなければ相手に対して言ったこともないのだがネット上で目にする機会が多い。

しかしイマイチよく分からない。

試しにウィキペディアで調べてみるとこうある。『インターネットの電子掲示板上などで、右翼的、保守的、国粋主義的な意見を発表する人たちを意味する。ただし、保守的主張を発表する人たちではなく、単に自尊自大で排外的な表現を用いる人たちを指したり、そのような集団心理的な傾向を指すこともある。略称はネトウヨだが、メディアによっては「ネット保守」という用語を使用するものもある。』

なるほど・・・。

幅が広く、曖昧で、底意が感じられる言葉である。その使われ方を見る限り、多くの造語がそうであるように、言葉そのものに否定的なニュアンスが含まれている。対立を生み、議論を停滞させる。

日本で生まれ育った多くの日本人は意識的にせよ、無意識にせよ日本を愛している。個人レベルでいえば必ずしもそうである必要があるわけではないであろうし、中にはそうでない人もいるであろうが少なくとも大多数はオリンピックやワールドカップでは日本を応援し、日本が住みやすくよき国であって欲しいと願い、海外で日本人に会えば親近感が湧く。その点において、他国の方がその方が生まれ育った国を愛することと変わりはないであろう。そして、本来は多くの日本人は他国の人間に親切で、日本で生活する外国人を差別する気持ちもほとんどもっていない。

私事ではあるが、中国の友達がかつて何人かいた。彼らの全員が日本を愛してくれ、日本の文化を学び、理解していた。様々な苦労もあったはずである。日本人は優しい人が多いから好きだといっていた。彼らも優しかった。そこに嘘は感じられなかったし、俺もそんな彼らが大好きであった。

(割合的にもそれほど多くはないからであろう)韓国人の方との出会いはたまたまなかったが、同様に日本を愛し、日本で生活している韓国の方も沢山いるであろう。例えば良きライバルであるサッカーなどでは日本の次に韓国を応援している日本人も多いのではないか。(【7月21日追記】と書いた数日後に韓国の方と結婚をされた日本人男性がかつて職場にいたことを思い出した。その男性がお子さんを連れて一緒に食事をする機会があったのだが、ちょっぴりシャイで、でも明るくて、とてもいい子でしたお父さんとお母さんのどちらが好きかと聞かれたその子は『どっちも』と答えていた)

しかし、ネット空間上の書き込みを見る限り、反日感情を抱いた人間が散見される。日本人による視点とは異なるものである。
「ネトウヨ」という言葉が寧ろ対立を作り出そうとする(または批判を封じ込めようとする、または利益を得ようとする)人間により都合よく作られた言葉であると思われることも少なくない。同時に本当に排他的な発言がなされているものも確かに見受けられる。

何度も書いているがこの国におけるネット空間は、情報を操作する上で優位性を持った共同体により操作されているというのが俺の考えであり、裏に隠された思惑が透けて見えるものが非常に多い(勿論多くの要因により完全に操作することなどできないであろうが)。

(最近ではマスメディア等も印象操作をするための道具と化している側面もあるが【参考記事】『冗談のような(2014年3月05日更新記事)』)、俺は若い方にはインターネットの(特に掲示板等の)使用をある程度控えた方が良いのではないかと考えている。一定の距離を保って接することが出来る人間であればよいが、情報の選別ができず、嘘を嘘と見抜くことが出来ない若い子供たちがのめりこむと想像力の欠いた、また非常に偏ったものの考え方が染み付いてしまう危険性があると感じている。自分でも気付かぬまま感覚が麻痺してしまうこともあるであろう(大人であってもそれは言えるであろうが)。つまらない意見であるには違いないが敢えて言う。

「ネトウヨ」に関して書いたが、現実の社会でもそれと似たような言葉の使われ方をしているものがある。

「ヘイトスピーチ」である。

ヘイトの部分が増大しているのは確かであろうし、排他性・暴力性が際立って見える。

しかし、一方で日本を壊そうとする組織があるのも事実であり、そうした人間が対立を作り出すためにヘイトスピーチを逆利用しているとしたら、多くの日本人は勿論のこと、日本を愛し日本で生活する多くの外国人にとっても不幸な話である。いつの間にか日本が嫌いになるようなこともあるかもしれない。現実問題として対立の構図は数年前と比べても明らかに増大しているであろう。
そもそも日本を貶めることを目的として日本で生活する資格などあろうか。

「ネトウヨ」にせよ「ヘイトスピーチ」にせよ、言葉が独り歩きし、本質的な問題から離れていっているのである。

こと集団ストーカー(ガスライティング)犯罪に関する限り、どう考えても日本人の発想であるとは思われない。
かといってそれをどこかの国に特定するつもりもないが反日感情を抱いた組織であろうことはいつも感じていることである(しかし、ここは少し複雑で彼らを見て、また彼らの言動を総合して感じることは組織を強大にして社会を塗り替えることを第一義的に考えている組織、個人として見れば様々な思惑、様々な境遇の人間が混在しており、必ずしも反日感情を抱いている人間のみではないであろうが、その多くは教育水準も高くはなく(必ずしも学歴を指しているわけではない)、平和ではない過去を生きてきた人達がその負の感情を原動力に、また中には平和であったはずの人間も無理やりそうした感情をうえつけられ、誤った方向に誘導されている。生理学と心理学、精神医学が手を携え、本人の同意を得ることなし人体実験を行っている側面もある。彼らの行動パターンを見る限り、インテリジェンスの技術も悪用されている。そして根底にある徹底的な嘘と暴力。かかるカルト組織におもねることによって社会的に優遇されている人間もあるであろう。そうしなければ生きていけない人間もいるであろう。自我が破壊されている人間もいる。結果として日本を貶める組織、多くの人生を踏み付けにし、多くの人間の不幸の上に成り立つ組織となっていると言えるのではないか)。侍はどこへ行った。世界中の過去の悲劇から教訓を生かすどころか、日本は世界から侮蔑の目で見られても仕方がない、時代を逆行した恥ずべき国に堕してしまった。【2016年3月3日追記】 

その根元では、なるべく堅固で、不透明な組織を砦に力を強め、特殊な教育を施し、情報を共有し、操作し、時に優遇し、時に組織とは全く関係のない個人をも巻き込み悪用し増大させてきたように見える。そうでなければここまでおかしな人間が増えることは考え難いし、様々な局面での逆転現象は説明できない(必ずしも反日であるかどうかに関わらず逆転がおこっている、または対立が作られていることにも目を向けなければならない【参考記事】『狂ったカルト集団に都合の良い社会(2013年8月23日更新記事)』『日本を売り渡すカルト集団(2013年10月19日更新記事)』『自殺に関して(2014年7月14日更新記事)』『印象操作について(2014年12月10日更新記事)』『声なき声(2015年3月6日更新記事)』)。それは日本という国を弱体化させ、塗り替えようとする力でもある。逆の意味での超差別社会。

創価学会がガスライティング犯罪を行っていると思わせるものは確かにある。
仮に一部の創価学会員が関わっていないと主張したとしても、そう思わせるいくつもの例があることは認めるであろう。なおそれでも行っていないと思うか、その可能性も捨て切れないと思うか、単に嘘をついているだけかの違いである。
彼らもそう言われることの被害を主張するのであれば必ずしも対立するベクトルではない(【参考記事】『更なる認知を~集団ストーカー(2013年8月6日更新記事)』)。真相を究明すれば良いだけのことである。

何故徹底的に調査しないであろうか。

おかしな日本が作られている。

何度でも何度でも言います。日本を守りませんか

※【7月3日追記事】 朝日新聞(7月3日記事)によると菅義偉官房長官が2日の記者会見で、特定の人種や民族への憎悪をあおり立てるヘイトスピーチについて、政府として全国規模の実態調査に乗り出す考えを明らかにしたとのこと。『何件あったか、具体的に何が問題になったか、しっかり調査していくべきだ』と語ったという。

※【8月16日更新記事】 気づくのが遅れてしまいましたが、Yahoo!japanが7月31日、自社のYahoo!Newsにおけるステルスマーケティング(ステマ)を積極的に排除し撲滅する旨の宣言をされたとのこと。『契約違反が明らかになった場合は、契約解除はもちろんのこと、Yahoo!ニュースが信頼を損なうことによって被った損害や信頼回復のために要した費用の請求、その他法的措置を含む厳正な対処を行います』と発表されたようである。その中には、ある特定の企業や人物、または商品を貶めることを目的とした(少なくともそうした印象を植え付ける)逆ステマ(?)も含まれていようかとは思われます。以前Yahoo!japanに関しては記事にしたことがあるので(【参考記事】『「バカ」について(2014年9月30日更新記事)』における本文及び、『印象操作について(2014年12月10日更新記事)』における更新記事)ここにあげておきます。

※【10月7日更新記事】 NHKによると、お年寄りの新たな見守りシステムが開発されたとのこと。
施設で暮らすお年寄りがベッドから起き上がる際などに転倒するのを防ごうと赤外線を使ってリスクを予測し、介護職員の携帯端末に知らせる新しい介護機器が開発されたとある。お年寄りの様子を24時間撮影、ベッドから起き上がったり柵を越えようとしたりする様子などを検知すると、離れた場所にいる介護職員のタブレット端末に通知するとのことだが、何はともあれまずはゾッとする。
当然介護の状況によって機器を設置するかどうかは違ってくるであろうし、お年寄りに選択権もあるであろう。
なるほど業務の効率化は図れるかもしれない。中にはそうしてもらうことを自ら望んでいる方もおられるかもしれない。
しかし、人間はペットではない。人間対人間の関係がより機械的になることも恐れる。他所で悪用されないことを願う。

※【10月16日更新記事】 政府による文系学部の再編を求めた通知を受けて、「文系学部不要」と読み取る。こぞって煽り立てる各新聞社の記事を目にするにつけ、思うところがあるので書いておきます。
まず俺は『文系学部は不要であるかどうか』と問われれば、必ずしも『不要である』という見方に反対できない。一理あると思わざるを得ないのである。
記事を書く人間の多くが文系学部出身の人間であろうことを考えると、その論理性の乏しさ、安易な結論付けこそがかかる懸念を抱かせる一つの要因にもなっていると感じるからである。
マスコミに限った話ではない。ここ十年弱の間で企業内の、テレビの中の、そしてネットの中の人間の(少なくとも目にすることの多い)いかに多くが、暴力的な論説を振り回わし、対話が通じなくなっていることか。
「コミュニケーション能力」と人はいう。重視されていると聞く。しかしその内実は話す方ばかりに目がいき、一方通行で話を聞く能力の乏しい人間が増えたことであろう。寡黙な人間、口下手な人間の一言が時として重みがある、または信用されることが多いのには理由がないわけではないのである(饒舌な人間で信用できる人間も勿論いるが)。薄っぺらく、曖昧な「コミュ力」であれば余り重視しない方が良いと俺は考える。
(結論が先に立つ優劣をつけるための)「ディベート」であれば学ばないほうがよい。人間が詰まらなくなるだけである。
「論破」しようなぞと考えないほうがよい。大事なことはあなたがどう考え、何に気が付き、如何に高めていくかということである(当然反論することは構わない。当ブログ記事に対する反論もドシドシ受け付けています)。
想像力も感受性にも乏しく、論理的思考能力も極めて低い、目先のことしか考えられない非文系的な人間が増えた。社会そのものが非文系的・非論理的になりつつある(もちろん理系的であるということでもない。いうならば悪い意味で政治的であり、陰湿な社会。ここでいう政治的というのは政治家を批判するものではない)。「ディスる」などという言葉を流行らせているようではどうしようもないような気もする。
俺は先に『文系学部は不要である』という見方に必ずしも反対できないと書いた(理系が重要であることは確かであろう)。
しかし、だからこそ文系学部に力を入れた方が良いと感じるし(最低限の数学的能力はあった方が良いのではないかと思う)、大学のあり方から、または受験段階から見直す必要があるのではないかとすら感じる。本来の文系的な素養を活かす企業を目指して欲しいとも感じる。現状はおかしなベクトルに向かっている。
まるで詐欺師のような人間に発言力を持たせ、カルト化していく多くの企業(またはテレビ番組)を見ていると、道は遠いと言わねばならない。
何でも金で買われる時代である。「有識者」なんて言葉にも惑わされない方が良い。大切なのは中身である。ここでも聞く力(見極める力、判断する力)が問われる。
全ては繋がっている。
法学部や経済学部が不要だとは思われないが、例えば文学的な素地も現在社会では活かされてはいない。それは気付く力でもあり、発想する力でもあり、思う力でもあり、深める力でもある。豊かな想像力と感受性に裏打ちされた、人間がより良く生きていくうえでも欠くべからず素地であると信じる。
声を中にして言いたい。ビジネス本やハウツー本、自己啓発本、裏技本以外の本も読もう、と「」(【参考記事】『優しい出会い(アメブロ2014年3月2日更新記事)』その必要のない人ももちろん沢山いるでしょうが)

※【11月17日更新記事】 フランスでのテロ事件をニュースで知り、遠い国のことだと思ってはいけないのではないか。
犠牲になられた方々が俺たちの近しい存在でない理由、いや俺たち自身でない理由などあるだろうか。
何の罪もない人たち、明日が来ることを疑うことすらしなかった人たちが突然命を奪われる圧倒的な暴力。彼らの残虐な行為が肯定され得るいかなる理由があるだろうか。
戦わない日本は安全だからフランスとは違うといえるだろうか。世界の平和を願うのはフランスも同じである。その多くが明らかに反日であり、反米でもあるカルト組織に乗っ取られた日本は本当に平和だろうか
結果論でものを語るのは危険な時代である。二元論で論じることの限界を突きつけられた時代であるともいえるのではないか。
後藤健二さんや湯川遥菜さんも犠牲になった。
騙されてはいけない。テロの背後にあるもの、そのつながり、狙いを読み取らなければならない。右も左も関係ない。
G20がテロと戦う強い決意を示した声明を支持すると共に(NHKをはじめ日本のマスメディアのいくつかが殊更に「報復」という言葉を使いたがることに違和感を感じるが)、世界中が結束してフランスを、アメリカを、そしてこの丸いはずの地球を守りませんか(このことは日本として軍事行動に参加することを肯定するものではない)。
※ロシアの旅客機墜落に関して、当記事公開後(11月17日)ロシア大統領府爆は発物が機内で爆発したテロだと断定した。ISが犯行声明を出していたものである。犠牲になられた全ての方に哀悼の意を捧げます(【11月18日更新記事】)。
※前記事『声なき声』内の3月15日追記事(ページ下部)と読み比べてもらいたい。(『声なき声(2015年3月6日更新記事)』)(【11月21日更新記事】)。




リンク

このブログをリンクに追加する



プロフィール

Author:まぁまぁマン
アメブロで「くだらない話(オリジナルお笑いネタ)(http://ameblo.jp/aratana-tabi/)のブログ運営をしておりますまぁです。
(特に集団ストーカーに関連するワードで検索をかけたとき)俺のアメブロ記事がグーグルやヤフーにインデックスされにくい状況が続いており(最近になり少しずつ回復してきました)、また整理の意味も含め当FC2ブログを立ち上げることに致しました。
アメブロで既に掲載している記事の転載が含まれます(一部加筆修正)。また当記事に関しましても適宜文章の修正・追加等する可能性があります。内容的にどうしても重くはなってしまいますが、『重すぎるな~、暗いな~』と感じた場合は笑いを取り入れるなどして意図的に柔らかくしている部分もあります。が、内容の重さは変わりません。
表現上の細かな変更、また記事内の補完的な追加に関しましては特に変更した旨の案内をしておりませんが、内容(また方向性)が大きく変わる場合は変更日及び変更箇所が分かるように明記しております。また記事公開後に新しい動きがあり記事文章とは独立して追記をする場合には追記事としてページ下部に日付と共に載せております。
俺がブログで取り上げている内容は通して読んでいただけましたら、日本で生まれ育った読者の方のほとんどが(発言する・しないは別として)少なくとも心の中では理解できる、何らかの形で心当たりがある、または改めて気付かされる内容であろうし、そのような多角的な書き方をしております。過去の記事で取り上げている余りに多くの問題が、その後明るみになるのを見るにつけ、振り返って納得される点も多いはずです。そして今後も明るみになっていくでしょう。もしも、俺の発言に説得力があるとしたならば、それはこの目で見てきたこと(そしてそこから導き出されること)だけを、本当のことだけを、そして如何なる金銭的な利益にも基づかない訴えを続けているからに他なりません。
ガスライティング(集団ストーカー)犯罪が行われていないと思う人も恐らくはいないでしょう。
もちろん反論(またご意見・ご質問)等ありましたらご遠慮なくどうぞ。
どなたでも構いませんo(^-^)o基本的に記事内で取り上げている内容に関することでしたら丁寧にお返ししますo(^-^)o質問に関しましては、敬意を表しその場で嘘を暴くような野暮なことはいたしませんが、読んでいただけましたら(読む人が読めば)いろいろなことがお分かりになるかと思います。当然全ての質問者様がどうだと言っているわけではありません。
リンクフリーですが一声かけてくださるとありがたいです(サイト内にリンクを貼ってくださる方々、また訪問、応援クリックをしてくださる方々、記事コメント・拍手コメントを寄せてくださる方々にこの場を借りて感謝申し上げます。おかげ様で検索上位に表示されるようになって参りました。
このようなカルト組織の横暴を許してはいけないという点において世界共通の認識、また危機管理の意識を強く持つ必要があるのではないでしょうか。
相互リンクはお受け出来ないこともあります。あらかじめご了承ください。
集団ストーカーに関する新しい記事は今後こちらにアップしていきます。拉致問題同様、日本が最優先に取り組むべき組織的な人権犯罪(組織犯罪)を今後も訴えて参ります。

気付くか気付かないか気付かないふりをするか。

宜しければブックマークなどしてチェックしてみてください。

元気が欲しい方はもう一つのブログ「くだらない話」(アメブロ)へどぉぞo(^-^)o念のためオリジナルお笑いネタで元気(無限パワー)を届けちゃってみてます(´Д`)/お腹が空いたときいつでも食べてo(^-^)oビビビビビ(^_-)-☆



最新記事



最新コメント



最新トラックバック



月別アーカイブ



検索フォーム



RSSリンクの表示



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QR



カテゴリ





上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。